待てない理由を考える 文明の発展と子どもの発達のギャップ
ものすごくベタな文明話かもしれないが、
ケータイが身近になって、
待ち合わせで相手が来るのか来ないのかと
心配しながら、信じて待つという機会は減った。
SNSが充実して、いつでも友人知人の近況を知ることができるが、
「元気にしてるだろうか?」と思いを巡らせることは減った。
夜遅く、無性にアイスが食べたくなったらコンビニに行けば買えるし、
最近はスーパーも24時間営業が増えているから大体の食料品・日用品は揃えられる。
アイスのお供に映画が見たくなったら、ビデオ屋さんに行かなくてもネットレンタルで見られる。
つまり、自分の衝動的な欲求に「どうしようもない」ということが少なくなった。
スマホがあれば、どこでも自分の時間に変わる。
順番を待ったり、電車で移動する間も、自分の時間になる。
でも、同じ例えば一時間待つのでも、1時間後の楽しみを想像しながら今か今かとウズウズしながら待つのと、
スマホでゲームをしたり、ネットを見たりしながら待つのでは、その質は違う。
とこんな風に自分の生活の周辺を見渡してみると、僕の見てきた三十数年という中でも、
色々なことが発展したことを実感する。
早く、便利で、効率的になったということを、一つ単純に言えば、
生活の中で自分以外の誰かを・何かを待つことが減ったということだろう。
言いかえれば、自分のコントロールできないことが減ったということだ。
加えて、スマホやパソコンで状況や情報や知識がすぐにわかるということは、
逆にいうと、思い出したり、想像して考えたり、
わからないけど、見えないけど、信じる
みたいなことはしなくていいということだ。
これらの発展には、良い面もたくさんあるのだろうけれど、一つ、人の弱点も大きくしていると思う。
それは耐性が弱くなるということ。
待つことへの耐性
コントロール不可能な物事への耐性
わからないことへの耐性
待たないことに慣れていくから、待てなくなる。
コントロールすることに慣れていくから、コントロールできないと混乱する。
わからないことは人や機械に教わることに慣れているから、自分で考えて想像しなくなる。
それは自然なことだろう。
ただ、そんな現代日本の生活を前にして、真逆で生きる人たちがいると思う。
それが子どもだ。
時間がかかるし、
予測は不可能、
大人ほど言葉にしないから本心もわかりにくい。
だから多くの大人は、
自分の生活スピードとこどもの発達のスピードのギャップに混乱するのだろう。
野球でいう、豪速球に目がなれたあとのチェンジアップがものすごく遅く感じて空振りしてしまうように。
子どものスピードが大人からすると遅く感じて、イライラしてしまうというのは、
今の生活の中では当然の反応ということだ。
だから、あらためて、
大人は忘れていはいけないと思う。
子どもの発達は早くなっていないということを。
どれだけ文明が発展し、どんなに生活が便利で効率的になろうとも
子どもの育つスピードは早くなってないのだ。
そして、なぜ早くならないのかといったら、
それだけの時間が必要だからなのだろう。
その中身の究明は研究者の人たちにまかせるが、
僕は直感として、そのことを肝に命じていたいと思う。
今の社会や文明の観点からみたら子どもの育つスピードは遅くて、
行動は非効率で無駄なように思えるかもしれない。
でも、そういう現代的な視点における効率なんかよりもずっとずっと本質的な部分で、
効率的に、最高速度なのが子どもの発達のスピードなのだろう。
さらには言えば、子どもたち一人ひとりの発達の違いも、それぞれが最高速度で発達しているのだろう。
比べるものではなく。
早い社会が中心になると、ゆっくりな人はマイナスに見られやすい。
でもそれはあくまで今の社会が作っている見方であって、その人そのものがどうこうとは
別だということを整理しておきたい。
おそらくはじめは、個人が集まることで社会が生まれたのだろうが、
いつしか社会に個人が合わせることだけがただ一つの正解のようになっていくのかもしれない。
そういう雰囲気に対して、あくまでそれは基準の一つだということを、
客観的に見ていけたらと思う。(むずかしいことでもあるけど)
少し話が散らかってしまった。
今回、改めて考えたことは、
親や先生、町の大人が、子どもを待てなくなっている理由というのは、
それぞれの性格がどうとか、子育て、保育、教育のシステムや体制どうとか、子育て支援や地域教育の
コミュニティ不足がどうとかいうそれ以前に
大人の生活そのものが早くなっている、その習慣にあるのではないだろうかということ。
だから、今の普段の生活スピードと子どもの育つスピード違うというのを自覚した上で、
少し気合入れて、
子どもの育ちはじっくり待つぞ。
という考えの大人が増えればと思う。
文明批判ではなくて、文明との付き合い方と子どもの環境の話。