実践・考察

「こどもたちが、自ら見つけ、考え、遊ぶ、余白のある環境」 をテーマに、
こどもたちを取り巻くヒト・モノ・コトの環境について研究、考察します。

小さな子どもの優しさについて考える

小さな子どもは優しい

 
自分が好きな人に本当に優しい

 
お母さんやお父さんのことを思って
家族のことを思って
先生のことを思って

 
時にこっちが驚いてしまうほどの優しさをくれます。

 
そのたびに
その優しさに癒しや活力、時には勇気をもらいながら

そして、感謝を思いながら

 

同時にこの優しさに甘えないようにと
ましてや、この優しさに酔わないようにと

 
そんなことを思ったりもします。

 

(このことについて少しだけ、ネットで流行の子育て情報に対して批判的なことをいうならば、保育の場面で見せてくれる子どもの優しさで自分のナルシズムや承認欲求を満たすような話が美談とされるのは、いかがなものかと、僕は思っています。)

 
本当に優しいですよね。
小さな子どもというのは。
それで、あらためて、なぜ小さな子どもは優しいのだろうと考えてみました。

 
人に優しくする
人の気持ちに寄り添う
それを一歳、二歳の頃から
どうしてできるのだろう。

 
理由を考えてみると
人は優しさを生まれながらに持っているということなのか。(先天的に)
それとも生まれてから人の優しさに触れ、優しさを発見したということなのか。(後天的に)

 
0歳の娘と2歳の息子をみながら考える今の着地点としては、そのどっちもだろうということでした。

 
というのも、
気持ちに寄り添う。(正確には寄り添おうとする)
気持ちを想像して行動する。
これってまさに赤ちゃんを育てている時間だと思うんですね。

 
人の子どもは、
特に0歳という一年は、
周りの大人たちに支えてもらわなければ、生きていくことができません。

 
他者に支えてもらわないと生きていけないということは
いいかえれば、他者に優しさをもらわないと生きていけないということです。

 
また、そもそもヒトは周りの支えなしに生きていけない生物としてはとても未成熟なタイミングを、ベストタイミングとして生まれてきます。(生理的早産)

 
ということは、いうなら、ヒトというのは優しさを初期設定で持つようにプログラミングされているということでもあるのかもしれません。

 
この世界に生まれて、最初にもらうのが優しさで。
そして育つ過程でもらい続けるのも優しさ。

 
そうやって人は生まれてから、たくさんの優しさをもらうから、だから、小さな子どもたちはすでにたくさんの優しさを持っているのかもしれません。

 
とここまで書いてきて気づきました。
自分で「優しさ」という言葉で考えながら、途中から「優しさ」という表現に違和感も感じてもいまして。今、わかりました。

 
僕が考えていたことは「優しさ」というよりも、「愛」なのだろうと思います。
ちいさなこどもの愛について考えた親子の時間でした。

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