実践・考察

「こどもたちが、自ら見つけ、考え、遊ぶ、余白のある環境」 をテーマに、
こどもたちを取り巻くヒト・モノ・コトの環境について研究、考察します。

保育理論の前に

先月から息子が行き始めた無認可の幼稚園。
今は慣らし期間ということで、親も同伴しています。
冬の森の中、ついつい息子や子どもたちと一緒に遊びたくなるけれど。
遊ぶのはほどほどに、なるべく子どもたちの世界からフェードアウトできるよう気配を潜め、木の葉隠れの術を多用してます。
そんな中で、子どもたち・先生たち(先生というより、一緒にいる大人という感じです。)の生活がとても素敵で、考えたことがあるので書こうと思います。

 

 

先日、園庭で焚き火と焼き芋をしました。
理由は、
寒いから。

 

 

保育計画としてとか、体験学習の充実とか、そういう目的や意図ではなくて。
寒いから園庭の端の竈門で火を焚く。
それで、火が落ち着いたら火鉢にもいれて、他の場所でも暖をとれるようにする。
そして身体の中からも温まろうと、焼き芋をやいて、園庭に生えているハーブでお茶も淹れました。
遊んでいるうちに焼き芋ができあがり、それぞれに頬張る。
それで身体の外からも内からも温まり、もうひと遊び。
これらがプログラムとか計画ではなく、遊ぶことやお昼ご飯を食べることと同じように行われるのでした。暮らしの中の自然な営みというのでしょうか。
素敵でした。
寒空の下で食べる、はふはふ、ほくほくの焼き芋は最高ですね。

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保育の現場では、「子ども主体」という言葉を本当によく聞くようになりました。
子どもたちを保育者がグイグイ先導していくタイプの保育に偏りがちだった従来のムードに対して、子どもが中心の保育が見直されることは良い流れだと思っています。
なので僕自身も、講座の入り口にこのワードを使うことは少なくありません。
さらに最近では、保育者も子どもも、さらには自然や地域も主体的にということで、「共主体の保育」といった考えもあるようです。
ですが、
自分も子ども主体という言葉を使うからこそ、同時に、自戒をこめるようにもしています。
〜主体の保育という言い方は
たしかに使いやすいし、伝わりやすい。
だけど、こうして言葉にすること自体が
ほんとうは仰々しくてナンセンスだ
ということ。
なぜなら、本来
「主体性が大切」とか「〜主体の保育」なんてわざわざ言わなくても、
そもそも生きることは、一人ひとりにとって主体が前提であり、それは自然なことだからです。
自然体。
それを今回の焚き火で、あらためて考えました。

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焚き火のはじまりは、こんな感じです。
それぞれ遊んでる中でポツリと子どもがつぶやきました。
「今日、寒い。」
「ほんとだね。すごく寒い。今日は火を焚こうか。」と保育者。
「うん。」と子ども。
「じゃあ、準備するから枝あつめてきて。」(保育者)
「オッケー。」(子ども)
マッチをとってくる保育者。
焚き木や落ち葉を集めてくる子ども。
集まったら、火をつける。
お芋をアルミでくるんで、それも火の中にいれる。
この場面をあらためて考えたときに、この焚き火は、保育者が提案して、こどもに声をかけているから保育者主導、保育者主体の保育というのでしょうか。
それとも、子どもの思いをきっかけにはじまっていて、やるもやらなきも子ども次第だから、子ども主体の保育というのでしょうか。
それとも子ども、保育者どちらの思いもあるから、共主体の保育というのでしょうか。
どれもしっくりきません。
実際の姿は、大人も子どもももっともっと力が入っていない、自然体だからです。
この力が入ってないというのは、大人も子どもも、周りからの評価を気にしていない行動・ふるまいということなのだろうと思います。
逆にいえば、こども主体の保育と銘打った理論や実践に力が入っていると感じる時があるのは、そこに他者評価の自意識を感じるからなのかもしれません。
では、そうやって自然体で、焚き火や焼き芋やお茶がはじまるバッグボーンというか、
出発点は何なのでしょうか。
それは「子ども主体の保育」とか「保育者主体の保育」とか「共主体の保育」とか、そういう理論ではなく、

 

「今日」そして「今」というこの瞬間を
どんなふうに暮らせたら幸せか。豊かか。
そして、そのためにはどんな方法があるか。
という暮らしに対する価値観や文化なのだと思います。
自分は
子どもとどんな風に暮らし、何に幸せを感じるのか。
何に幸せを感じてもらいたいのか。
さらには、子どものいるいないに関係なく、暮らしの何に豊かさ幸せを感じるのか。
それが子どもたちとのふとした瞬間にもあらわれるのでしょう。
そして、実はそういう教育的な目的をもっていない、
子どもと関わる大人一人一人の滲み出る価値観こそが、子どもたちにも伝わっていき、
ひるがえって、それは時に教育的な意味も持つということなのではないでしょうか。
そう考えると、自分のそれと向き合うことは、保育のどんな理論を取り入れるよりも大切なことなのかもしれません。
(理論を批判する話ではありません。理論も大好きです。)

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