何度失敗しても、なお自分に期待できる。これを自信というのだろう。
保育園での子どもたちとのワークショップでのこと。
この園では、毎月一回造形の時間を担当させてもらっている。
そこで昨日、一人の男の子から教えてもらったことがある。
それは自信の中身だ。
その子は、工作や絵を描くことがそう上手な子というわけではなかった。
でも描くのも作るのも大好きな子だった。
毎回、ワークショップがはじまると、その子は目を輝かせていた。
だが、頭で描くイメージとそれを具現化する体のアクションは、思うようにつながらないことも多く、
くやしい思いのままにワークショップが終了ということも多かった。
思うようにいかない時、彼がくやしそうなのは僕にもよく伝わってきた。
だけど、基本的に手伝ったりはしない。
かわりに、
お絵かきや工作は何回でも失敗していいんだよ。
それがパワーアップの方法だよ。
と、和やかに何度も言い続けてきた。
失敗は悔しいものだけど、イコール自分がダメなわけではないということに慣れてほしいと思っていたから。
失敗が、うまくいくのと同じくらい普通で当たり前のことだと認識してほしいと思っていたから。
そうして昨日、8回目のワークショップ。
昨日は「魔法の靴づくり」というテーマに対して、ドリルのついた地中を歩ける靴を作っていた男の子。
だけど、画用紙で作ろうとしたドリルの三角錐の形が、なかなか思うようにいかない。
ななめに丸めながらテープをはろうとするが、テープを貼る前におさえていた部分が戻ってしまう。
何回かやったあと、「作って」と頼みにきた。
丁寧に断る。
画用紙何枚を使ってもいいからさ。
自分でやってみようぜ。
うん。
しばらく苦戦していたが、やっていくうちに感覚がつかめていったようで、
最終的には三つのドリルをつけてお気に入りの靴を完成させた。
できた!!!
それはもう嬉しそうに、完成させた靴を履いて見せにきてくれたので、写真を一枚パチリ。
と、撮って気づいた。
実は、彼の完成作品を写真に撮ったのは、8回やってきてこれが初めてのことだったのだ。
というのは、普段僕は活動中の記録としての写真はとるが、
「写真撮ろう!」といってカメラをかまえて撮るのは、本人が満足している様子がよっぽど
伝わってこなければ、わざわざ撮らないようにしているからだ。
(撮られることをゴールや評価にしてほしくないから)
でも今回は思わず撮らせてもらった。
それほどに、自分の作品に満足しているかが伝わってくるのだった。
これまで8回やってきて、こんなに満足した作品になったのは1回。
これってすごいことだと思う。
それ以外は、思うようにいっていないのだから。
だけど、彼は毎回楽しみにしていた。
自分がどんなものを作ろうかと、ワクワクが膨らませ、
そして、今日の自分に期待していた。
すごいことだ。
その姿に、僕は「自信」というものの中身を気づかせてもらったように思う。
子どもの自信を育てたい
というのは、子どもに関わる様々な現場の大人たちに共通する素直な思いだろう。
ただ、その自信の育て方としては
〜ができるようになることで、
〜を乗り越えることで、
自信にしてもらいたい。
こんな言い方がよくされる。
そして子どもはがんばり、乗り越え、自信を得るという流れだ。
たしかに、
何かの課題を乗り越えた時に、
できない自分ができる自分に変化した時に、
できた自分が周りに評価されることで、得られる自信というのもあるだろう。
だが、そういう風にして得られた自信は、評価されなかった時には脆い。
そして、何よりこれには肝心なことがあるのだ。
乗り越えられなかった時、失敗した時、
自信はどうなるのだろうか。
物事には、どうしたってできないもの、乗り越えられないもの、
できなくても、乗り越えなくても別の行き方は、いくらでもある。
人によってはそっちの方が輝く時もある。
それでは、自信は育たないのか。
そうじゃないのだろう。
そもそも自信とは、乗り越えようが、乗り越えまいが、関係ないのだ。
全部ひっくるめて、自分を信じることなのだから。
自分を「いいじゃん。」って思うことなのだから。
失敗しても、なお自分に期待できること。
自分を「いいじゃん」って思えること。
何度でも、何度でも。
これが自信の中身なのだろう。
帰りの車で、そんな風に彼が自信を持ち続けていられる背景を考えていた。
本当のところは本人にしかわからないが、家族がいて、保育士や友達がいて、そういう中で
彼の自信は育まれているのだろう。
僕がみられるのは毎月の造形のほんの2時間程度のことだから、大したことではない。
ただ、造形活動において、彼が何度失敗しても、それでも今日の自分に期待し、
楽しみ続けたその時間、僕が担任の保育士たちと心がけてきたことが一つある。
それは失敗した時も、成功した時も、本人の思いと行動を尊重しつづけること。
言い換えると、
成功と失敗で子どもたちを評価しないこと。
それだけはとにかく大切にしてきたと、自信をもって言える。