実践・考察

「こどもたちが、自ら見つけ、考え、遊ぶ、余白のある環境」 をテーマに、
こどもたちを取り巻くヒト・モノ・コトの環境について研究、考察します。

デジタルネイティブとネイティブジャパニーズ

生まれながらにして、身近にパソコンやインターネットがある世代をデジタルネイティブというそうだ。
スマホの登場によって、その環境はより色濃くなっているといえるだろう。


たしかにデジタル技術の世界に小さい頃から触れていることで、
それを土台に驚くようなアイデアや新たな世界が生まれるということもあるのかもしれない。

 

しかし、もし子どもが、これから生きていく上であらゆる土台を作ろうという時期に、
インプットもアウトプットもデジタルばかりだったなら、
人間はいつ自分の身体を使うのだろうか。

 

一日を24時間と捉えたとき、その中で何時間、画面を見て、何時間、身体を使うのか。
気になるところである。

 

少し話は飛ぶけれど、
日本で伝承されてきた子育ての知恵の一つに、数え年に「つ」がつくの年齢までは、薄味で。

 

というのがあるのだそうだ。
僕は、講座に参加してくれた70代の女性に聞いたのだが、その方もさらに昔、
自分自身のばあちゃんに教わったらしい。

 

数え年に「つ」がつく、つまり、
一つ、二つ、三つ、、、八つ、九つ、とう
9歳まで、食べ物は薄味が良いという教えだ。

 

理由は、味覚の土台を作る時期だから。

 

僕は、発達や食育の研究者なわけでないが、
この言い伝えられた教えというのは、普通に考えてみても、ものすごく理にかなっていると思う。

 

何事も、最初に出会うもの、慣れているものが基準になるのだから。
濃い味を食べ慣れれば、基準は濃い味がその人のゼロとなるわけで。
それより薄味を感じなくなるのは当然だろう。

 

和食のだしは日本の文化とも言われるが、濃い味が中心になりつつある今、
味覚の基準はどこに向うだろうか。

 

と、そんなことを考えるのとつながって、戻ってきたい論点は、
この「つ」の話はデジタルとの付き合い方にも当てハマるのではないかということである。

 

デジタル映像は刺激的だ。
わかりやすく、鮮明で、明るい。
いうなら濃い味だ。
でも濃い味が基準になったとき、人は何を作り出せるのだろうか。

 

その基準が影響しているかどうかはわからないが、
ある園で子どもたちと空き箱で工作をしていて、びっくりするような違和感に出会ったことがある。

 

ティッシュの箱を使ってロボットを作った子がいたのだが、
その子のロボットの名前はティッシュロボ。

 

想像力を使えば、どんなロボットにもなるし、ロボット以外にも、

どんな乗り物、どんな建物、どんな生き物にもなるように思うのだが。
その子は、想像力を使えわないからなのか、使ったことがないからなのか、

見た目のティッシュ箱、そのままの作品なのだった。

 

想像力において、日本の伝統芸能は、例えば和歌や俳句、歌舞伎に能に人形浄瑠璃、僕が好きな落語にしても、

どれも薄味の文化と言えるように思う。そして、余白が多い分、個人の想像力が重要となる。

 

でも今のデジタル映像には、見る側の想像の余白はあまりない。
余白なく、受け身の子どもたちの作品の一つの形がティッシュロボなのだとしたら、

それは少し心配になる。(子どもがではなく環境が)

 

総じて思う。
ばあちゃんの子育ての知恵にしても、
和食のだし文化にしても、
伝統芸能にしても、
この日本には「薄味」を感じる価値観が昔からあった。

 

今はどうなのだろう。

 

パソコン、スマホ、タブレット、携帯ゲームにVR、AR、etc

デジタルネイティブも魅力的かもしれないが、
僕としては、ネイティブアメリカンもとい、
ネイティブジャパニーズの教えや文化に魅力を感じられる自身の想像力、感度をもっていたいと思うし、

そういう余白の多い環境が、子どもたちの周りにいっそう充実すればと思う。

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