実践・考察

「こどもたちが、自ら見つけ、考え、遊ぶ、余白のある環境」 をテーマに、
こどもたちを取り巻くヒト・モノ・コトの環境について研究、考察します。

子どもの子どもに対する姿勢に学ぶ

昨日のコトリエにて、7歳のケイちゃんが自分で作ったおもちゃを試しながらつぶやいた。

 

「お!これ弟とも遊べそう!音なるから!」

 

ケイちゃんの作ったおもちゃは、空き箱に貼り付けたスプーンの先端を指で押しつけると、

もどろうとする反動で、「ビーン!」と空気をはじく音がした。
その「ビーン!」という音が弟の興味にもハマるだろうと推察したのだった。

 

しばらく遊びながらまたつぶやいた。

 

「これなら(この簡単さなら)弟でも見てわかるから、教えなくても遊べそうだわ。」

 

スプーンにアルミホイルで作ったボールを乗せて指ではじく、
スプーンが戻る、
ボールが飛びあがる、

 

この簡単な仕掛けと、弟の普段の行動とを照らし合わせて、この遊びなら、教えなくても弟はわかるだろうと考えたのだ。
そして弟が自分で見つける楽しみをとっておくのだった。
弟の年齢は、1歳。
・1歳の弟が「音」に興味深々なこと
・教えなくても、自分で見て考えて理解するだろうという弟の理解力への信用
これが7歳のケイちゃんの、1歳の弟に対する当たり前の姿勢なのだった。
ケイちゃんは誰かに「子ども」や「1歳児」を教わったわけではない。
「保育」や「教育」を学んだわけでもない。

 

ただ、目の前の弟と遊びたいという思いや、
そして、弟の主体性というか、弟自身の力を信じることが、
ケイちゃんにとっては当たり前のことだからこそ、出てきたつぶやきなのだろう。

 

相手の目線によりそって、思い、考える

 

子育て、保育、教育分野でこどもに関する様々な理論があるが、どれもきっと始まりはこれだ。
そして思いがあるから生まれるのが理論だ。

 

ケイちゃんをみているとそう思う。
ケイちゃん、とても素敵なお兄ちゃんだ。
ここからは余談。
一方で、今現役で子どもと関わっている、それも職業として仕事として子どもと向かっている大人たち。
それは保育や教育を学んできた人たちだ。

 

しかし、その中には、どこでこういうケイちゃんのような感覚をなくしてきてしまったのだろうか?

と疑問に思う人も少なくない。

 

理論や基準とされる子ども像が、目の前の実際の子どもを考え、思うことよりも先にくる。
そして、理論に合っていないと子どもの方が間違っている気さえして、理論と実践に、子どものほうを合わせようとする。
それってどうなのだろうか。

 

と、こういうことを研修で言ったり、書いたりすると、たまに「私の考えを否定するんですか!」と言って

ケンカ腰になる人がいるが、そういう話ではない。こうやって、疑問を出すことは、否定ではなくて、
疑って考え続けていくことが、保育や教育を育てていくことなのだから。

 

国内国外問わず、今は様々な子どもの理論と実践が数多くある。
だからこそ、あらためて大人は、理論と目の前の子ども、どっちを出発点にして

子どもたちと向きあっていくのかを考えることが大切で。
保育現場も教育現場も現状を見直したり、吟味するムードが広がっていけばと思う。

 

いいところは残せばいいし、ずれてきたと思うことはその都度修正すればいい。
それは仕事としても当然のことだ。

 

先日、FBのコメントで目標について疑問や葛藤を書いてくださった方がいた。

 

目標も理論と同様、目の前の子どもが、目標の子ども像に合わせるよう求められるのは教育現場ではよく見る場面だ。

 

さらにしんどいなぁと思うのは、その目標の無理強いにやりがいを感じている親や先生というのは

実はそうおらず、ほとんどの親や先生たち自身もプレッシャーの中で

しんどくなっているというのが、僕の実感だ。

 

もうそろそろやめてみたらどうだろう。
目標達成を保護者や上司に見せるために、評価を得るために、子どもも大人もしんどくなるのは。
その一助になるかはわからないが、目標についても少し書こうと思う。

 

いついつまでにこれができないと困るとか
静かにできないと困るとか
集中力を育てるとか
主体性を育むとか
思いやる心を育てるとか

 

これらはよく耳にする子どもの目標の項目だ。
しかし、ケイちゃん兄弟の姿を見るとどれも全然ハマっていないのがよくわかる。
なぜならどれも当たり前にやっているからだ。

 

ケイちゃんは自分の基準で友達とワイワイもすれば、集中もするし、
聞きたいことや興味のあることの前では静かにするし、弟を理解しようと思いやる。
そのどれをも主体的に。

 

そんな人たちを前に目標を作るとはどういうことなのだろうか。

 

大人が子どもに立てる目標というのは、上から目線のものが多い。
もっと言えば子どもは大人が教えないと自分だけではできない未熟な人たちということを

前提に子どもを捉えているものが多い。

 

そして、それらが一般的な価値観となっている。
これってどうなのだろうか。

 

大人が子どもに立てる目標、、

 

なんてそもそも余計な心配だと、僕は思う。

 

子どもは自然と自身で考え、見つけ、学ぶ力をもっているし、

誰かを思いやることもする人たちなのだから。
もっと信じてていいよ。
1歳の弟のことも。
僕のことも。
あまりにも当たり前に弟を思い、考えるケイちゃんの姿勢に、そう言われているような気がした。

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