実践・考察

「こどもたちが、自ら見つけ、考え、遊ぶ、余白のある環境」 をテーマに、
こどもたちを取り巻くヒト・モノ・コトの環境について研究、考察します。

子どもを大人化させることの違和感

子どもってすごいなぁと思う一方で、最近、保育や幼児教育の現場では、「こどもはすごい」「こどもと対等」という大義のもと、「子どもの大人化」がもてはやされるムードがあるように感じています。
例えば、子どもたちが自分たちで対話や議論をして解決するといった実践が評判だったりします。(クラスでケンカがおきたときに、子ども同士で、何が原因かを話しあって解決に向かうなど)
もちろん、それが適する場面もあるでしょう。
でもそれが方針としてパッケージされていることに僕は違和感があります。
なぜなら、人間同士、状況によっても変わるやりとりを、自分たちの方針として価値づけたら、最初は自然に生まれていたことでも、いつからかそれを自分たちの特色として、こどもに期待してしまう可能性があるからです。(それも無自覚に。)
そして、解決することを求めている大人の存在に、子どもたちは気づく人たちだと思うからです。
その上で気づいていないように振る舞える子だっているでしょうし、期待に応えている自分に酔ってる子だっているでしょう。または、その自覚なく、純粋に応えようとしてる子もいるんだと思います。
本人ではないからあくまで想像することしかできませんが。
でも、皆さんも自分が小さい頃にそういう経験ってありませんか。
僕はあります。
また、現在2歳の息子とやりとりしていても、あ、いまこっちの気持ちを察してくれたな。僕の好みや期待が表情やリアクションにですぎたか。と心の中で反省する時もあります。
議論を求めたら子ども達はできるでしょう。
でもそれをできることが、この時期の育ちなのかは、じっくり考えるべきだと思います。
議論しない時や直接解決しない時だって、それも大切な時間だと思います。
例えば、友達と互いの思いがぶつかってケンカになる。
言葉も手も出て、相手が泣いて、やり返されて、こっちも泣いて。
体が痛い、心も痛い。
すぐにごめんなさいはしたくない。
他の友達に代弁なんかしてもらいたくないし、
むしろ自分たちのケンカに他人が入ってこないでほしい。
だからそのまま一日ふてくされて時間が過ぎていく。
そうして家に帰って、夜寝る前に、一人思い出す。
明日もあの子と遊びたいなと、後悔しながら眠りにつく。
次の日、ちょっと緊張しながら話しかけると向こうも同じ気持ちで。
だから目をあわせただけで、それが通じ合って。
昨日のケンカがなかったかのように、いつもの遊びがはじまる。
それは「一日経って忘れた」からじゃない。
そういう感情の揺らぎや育ちが、目には見えにくいけどたくさんあります。
時間もかかります。
そういう日々を精一杯過ごしている子どもたちを信じて、静かに受け止めることが、子どもたちの力を尊重することなのではないのかと思います。
だから、最初に例にあげた議論や解決も、それ自体が良い実践というよりも、
あくまで色々な育ちのプロセスの一つとして、時には向き合って話をすることもあれば、クラスのみんなで話しあって自分たちで解決を試みることもある。
という質の話なんだと思います。
なので、これは事例そのものを否定しているのではなく、ムードへの違和感の話です。
繰り返しになりますが、
子どもって、親や先生が求めることに応えてくれる人たちだと思います。
しかも「求める」というのは言葉で直接求めることじゃなくて、
こっちがほんの少しいつもよりも嬉しそうな顔だったり、声がはずんていたり、写真を撮る枚数が多かったり、作品が飾られたり、そういう微かな空気にはみ出る「期待」に応えるんだと思います。
ほんとうに、子どもを甘く見ちゃいけません。
だから、子どもたちの天然の感性と思考に大人は静かに感動して、そのことをなるべく子ども達が意識しないで、自分の、自分たちの好奇心・探究心に専念できるように。肝に銘じておかないとなぁと思います。
子どもを尊重し対等に向き合うことは、子どもを幼稚化させることでも大人化させることでもない。
今日の話は賛否色々あるでしょうが。色々な価値観や視点があるから、より保育観は広く深くなるということで。
現場の皆さん、それぞれがんばりましょう。

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