2020.02.16
【研修報告】埼玉県保育問題協議会 保育士・保護者研修会
今月は、都内の民間保育園合同研修、埼玉県保育問題協議会の子育て・保育講座にお呼びいただきました。
子どもたちの造形活動における保育士のサポートを切り口に、なぜサポートが必要な子どもがいるのか、その背景にある子育て観や保育観、教育観への考察をまじえながら色々お話しさせてもらいました。
堅苦しいようですが、中身は受講者さんが少しでもほっとするように、課題や不安や焦りの理由を整理して、解決するのではなく、視点をずらして、そもそもなかったことにする、
というコンセプトなので、のんびりした話です。
なぜほっとしてもらいたいか
というと、
みなさん子どものことを思っているし、
一生懸命だし、
ほっといたって、手を抜けといったって肝心な部分は、手抜きをしないのだろうと思います。
研修に来る次点でそれが前提。
だから、少し安心できる話をと思っています。
親や先生が子どもとの場面で
「こどものために、やらなきゃいけない」
と思ってることのほとんどは、
実は
自分の満足だったり、自分の都合だったり、自分への評価だったり、
つまり
「自分のために、やらなきゃいけない」
ことではないかと思います。
だから、少しえいっとふんばって、
「自分のためにやらなきゃいけない」
と思ってることはやめちゃっていい。
そうすると、大人もこどももかなり気楽になるように思います。
そして、そうやって自分のためにこどもをがんばらせることをやめるには、
子どもの成長を自分の存在意義とすり替えないことが大切なのだろうと思います。
子どもを思っているからこそ、
子どもは子ども。
自分は自分。
子どもの成長を自分の意義に投影するというのは、
逆にいえば、自分が健やかに暮らしていく上で、何かしら自分の存在意義を、他者に認められる意義を、求めていることの表れなのかもしれません。
それは、もっといえば自分の存在意義がはっきりしてないと、明るく健やかにいてはダメみたいな価値観が、意識の(むしろ無意識の)どこかにあるということのような気がします。
ですから、そういう考え方自体が、偏った他者評価教育の中で刷り込まれてきたことによる発想なのかもしれません。
だから他者評価はダメということではなく、偏っているという話です。
子どもが成長しようがしまいが、自分は自分。
これも子どもを思って一生懸命というのが前提ですが。ただ一生懸命というのは、うまくいってるということではなく、試行錯誤や葛藤も含めて、相手に向かっているということです。さらにいえば、成長しようがしまいが、生まれてきた時点でもうその子はすごい。その上で、理想を目指したり、葛藤したりし続けていけて、子どもたちと向き合っていければと思います。
ご参加ありがとうございました。