実践・考察

「こどもたちが、自ら見つけ、考え、遊ぶ、余白のある環境」 をテーマに、
こどもたちを取り巻くヒト・モノ・コトの環境について研究、考察します。

人に優しい時間感覚

待ち合わせ
はじまり
おわり

 

物事にはいろんな時間の約束がある。
そして、基本的には時間通りに動かないといけないと思われている。

 

相手の時間を奪うことになるから。
周りに迷惑をかけるから。
社会(日本の)で生きていく上でのルール・常識だから。

 

確かにそれも一理ある。
しかし、それだけが一つの正解なのだろうかとも思う。

 

僕が最近仕事の帰りにランチで立ち寄る町のお寿司屋さんがある。
そこは12時開店なのだけど、ほとんど12時に空いたことはない。
いつもメモ書きが貼られている。

 

「今日は12時10分からになります。」

「今日は12時15分からになります。」

 

そうするとお客さんは何も言わず、待つ。
もしくは時間をずらす。
タイミングがあわなければまたの機会にする。
それだけ。

 

開店時間が遅れたからといって、お店が開いたときに誰も店主にクレームは言わない。

いたって穏やかに、当たり前に注文をする。

 

「なんて店だ!もう来ない!」って思うのか、
「ま、きっと色々あるんでしょっ」て思うのかは、自分次第なのだ。

「ま、色々あるんでしょ。」

と思えるのは、

「きっと色々準備しているんだろうな。」

と相手を信じることである。

 

店主は別に悪気があったり、さぼったりして、開店時間が遅れているわけがない。

今日は何らかの理由で準備に時間がかかったんだな。

 

と。もう少し想像するなら
仕込み中に電話でも入ったかなとか、仕入れで道が混んだかなとか、
そういう、「ま、色々あるんでしょ。」
なのだ。

 

僕はそれって優しい関係だなと思う。

 

そして、これも正解の一つだと思う。

 

子どもの現場でも、

時間を守りなさい

という指導が当たり前にされる。(もちろん大切なことだけど)
では指導をする前に、守るとは何を守るのか、考えたことはあるだろうか。

 

時間を守る。

守っているのは、実は時間ではない。

 

守るのは、時間の先にいる人である。
もっといえば思いである。

 

相手の。そして自分の。

 

そもそも、時間というのは、人が人を守り合い、より快適に生活するために生まれたのがルールなのだろう。

だけど、いつからか、どこからか、その立場は逆転しているのではないだろうか。
お互い守りあうはずだった相手を攻撃するようなやりとり。

 

保育や教育の現場で、時間に対してそこまで厳しくなくてもいいのでは?
と思う場面がままある。

 

子どもがどんなに集中していても、

決まりだから

という理由で、その思いや活動は却下される。

そして少し遅れたりすると、指導、説教。

時間を守ることは、人を守ることのはずなのに、
目の前のこどもを守るより社会やルールが先に守られる。

 

僕はそこに違和感を持つのだが、どうだろうか。

 

時間を守ることは、子どもたちがこれから社会(日本の)で生きていく上でのルール・常識だから、指導していかなきゃいけない。

 

これは最もらしく言われる。
でも、それならば、そこまで大義となっている「社会」まで、広げて少し考えてみる。

 

時間は本当に絶対的なものなのか?
みんなが時間に寛容になったら
例えばお店の開店時間が遅れる、
電車が遅れる、
仕事が遅れる、
始業が遅れる、
、、、するとみんなが困って、
ヒトも、モノも、コトも、カネも、回らなくなる

 

といったんは、思う。
でももう少しふんばってみる。

 

本当にそうだろうか?

 

綺麗事かもしれないが、ほんのすこしお互いが優しければ、あるいは、お互いの思いを大切にしたら、それはそれで成立するのではないだろうか。

むしろ、もし、ほんの少しの誤差で、本当に世の中が回らなくなっているのなら、そんな綱渡りの社会の方が変わったほうがいい。

と、思うのは僕が社会不適合者ということなのだろうか。

 

そうはいっても、一応この10年、自分で仕事をして暮らしている。
少ない人数ではあるが、スタッフもいる。

 

その実感として思うのは、そんなに厳しすぎなくても、ほんの少しお互いに優しければ、けっこううまくいくよというのが実感である。

 

人がより快適に生きていくために、生まれた時間というルールが、人を超えるというのは少しおかしな気がする。

(人をコントロールするために生まれたのならおおいに役目を果たしていると思うが、、)

 

今日の午前中はこども園でワークショップ。
子どもたちとトンネルを作っていた。
年度終わりのお楽しみイベントいうこともあり、今日はワークショップだけでなく、

色々な遊びの部屋を自由に行き来するという趣向になっていた。その中で、こどもたちが聞いてきた。

 

「ひでちゃん、私たち、一回他の遊びコーナーにいってくるね!何時に戻ってくればいい?」

「何時でもいいよ。戻ってきたくなった時に戻ってきたらいいよ。」

「やったー!いってきまーす!」

そういって、一旦外で遊んだ後、嬉しそうに帰ってきて、またワークショップを再開した。

わざわざ時間を決めなくても、自分たちで戻ってくる。そうやって信じていれば、声をかけなくても、けっこう心地よく物事は進んでいく。

 

時間はあくまで目安

 

そんな場面もあっていいと思う。

 

時間の前に人。

時間の前に思い。

 

そして実はそうやって、時間以上に、思いを守ってもらった子どもたちが大人になったときに、ひるがえって、

人を守るために、時間のことを大切にする人に育つのではないだろうか。

 

時間を厳しく守る人を育てる以前に、他人にも、そして自分にも、優しく、人を守る人に育ってもらいたいと思う。

 

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