実践・考察

「こどもたちが、自ら見つけ、考え、遊ぶ、余白のある環境」 をテーマに、
こどもたちを取り巻くヒト・モノ・コトの環境について研究、考察します。

草刈りとコンクリートと子育て

草刈り

 

 

奥さんの実家はちょっとした山の中にあります。

先日遊びにいき、草刈りの手伝いをさせてもらいました。

 

 

自然の中にあるから、当たりまえだけど、周りの草がどんどん伸びる。
それを刈って集める。

 

集めた草は土に返し、畑の栄養になるのだそう。
草刈りも草集めは、これも当たり前だけど時間も労力もかかります。
その作業をしながら実感したのは
「この場所にはコントロールできない自然がある」ということと
「この場所で暮らしを快適に保つには他の生き物(草木含め)を抑えなくてならない」ということでした。
こちらが抑えることを自覚すると、ちょっとごめんねぇという気持ちも生まれます。
そう思うと、「あぁ、スペースを分けてもらいながら暮らしているんだなぁ」という感じもして。なんとなく、ありがとうねぇと思ったりもします。

 

じゃあ自分の普段の生活ってどうかなと考えると、そう感じることは少ないものです。
なぜなら街はコンクリートで他の生物を入りにくく保っているから。
でも、それは見えにくいだけで、時にコンクリートでもコントロールできない自然にどうしようもない時もあります。だから、田舎と都市どっちが良いとか悪いとか、そういう話ではありません。

 

この十年、人がサービスという名目でコントロールする対象はいっそう増えていると思います。

 

全録のテレビ
好きなときに見られる動画配信
宅配便の配達時間
最近では、エアコン、洗濯機、炊飯器などもスマホで操作できるらしいですしね。

 

他にも例えば
食事と栄養
健康と医療
子育てと仕事と社会
などなど分野を問いません。

 

都市型の暮らしの中では、できるだけコントロールできない存在を排除、または解決しようとする。
そんなコントロール型都市の中で唯一排除できないコントロール不能な存在、、
それが人間なのかもしれないません。
と、僕はなんの話をしてるんでしょうね。
でも、もっと言うならば、その中でもとくに子ども。
子どもは大人以上にコントロールすることはできません。(ご褒美や脅しによるコントロールは別として)
コントロールすることに慣れた生活をしている大人が、コントロールできないことへの耐性が鈍くなるのは自然なことでしょう。
そうして無意識のうちに、子どもへの感性や耐性も鈍くなっていくのかもしれません。
そこには注意と自覚が必要だなと思っています。

 

これまで教育系の研修などでは、「時短社会になって、時間がかかることへの耐性が減ったから、時間のかかる子どもを待ちにくくなっている」と言うことをよく話させてもらっていたのですが。
この時間の耐性がないと言うのもコントロール生活の一部であって、時間に対する感覚だけでなく、そもそもの人間の行動に対しても、コントロールが効かないことへの耐性が弱まっているからイライラしやすいという側面が、今の都市型の社会にはあるのかもしれません。
じゃあどうすればいいのか。
おそらく
「コントロールできないのよねぇ」
「こればっかりはしょうがないねぇ」

 

と受け入れるしかないのだろうと思います。
その上で、一つできそうなこととしては、
しょうがないよねぇと受け入れるには、できることなら余裕と時間がある方がいいなとも思います。
精神的な余裕、物質的な余裕、経済的な余裕etc
そうした余裕をつくるのは社会や政治の本来の役目なのでしょう。
もちろん個人できることもあるけど、個人ではどうにもできないことの方が多いですからね。(これも見えにくいだけで。)
ちなみにコンクリートと自然、僕はどちらにも魅力と難しさの両面を思います。
最近、草刈りを手伝いながら考えたことでした。

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